元旦に「明けましておめでとう」とブログをアップしてから、思いもやらぬ大変化が待ち受けていました。元旦に父が体調を崩して救急搬送されたのです。父は1月5日に百歳になりました。それを祝うために8日(土)に弟夫婦と私、そして両親とでホテルにて会食する予定でした。そんなおめでたい話しも吹き飛び、私は2日に奈良に朝一番出かけることになりました。
父は心筋梗塞で元旦当日に緊急手術を受け、入院となるとの連絡を弟から受け、私は事後のことを考えていました。入院はおそらく急性期の2〜3週間。回復が順調であればその後はリハビリを目的とした転院があるだろう、そして入院中に体力の衰えが顕著になると予想されるので、現在の住まいであるサ高住に戻ることは相当難しいのではないか?と。妻がケアマネをしており、こうした事例には精通しているので妻にアドバイスを求めながら今後の想定される事態に備えた対策を用意して翌朝奈良へと向かったのでした。
何の予備知識も無いところからこうした事態を迎えていたらかなり焦っていたことと思います。幸いだったのは社会福祉士受験の際に高齢者福祉関連の知識を整理することができたのでこうした不測の事態に対処するルート図をすぐに頭に描くことができたこと、さらに妻がケアマネなので家での食事の際によく妻が関わっている事例を聞いたりしていたこと等々が役に立ちました。父の介護度も把握していたので、入院中に介護度の再認定調査の書類も必要なものをダウンロードして用意していきました。
幸い、父は手術により一命をとりとめました。しかし車椅子生活が今後余儀なくされるものと予想され、それに伴って住環境の変化をどう進めるかを母と弟を交えて話すことになりました。こうした場合、最悪を想定して考えるものだと思いますが、父の気力・体力は私たちの予想を良い方に裏切りました。集中治療室から一般病棟へと3〜4日で移ってからは、父は誰に言われずともベッドの脇で足を動かしたり、立ったり座ったりしながら自らリハビリ的な動きをしていると看護師さんに聞いたのです。父はネガティブな言葉を発することがありません。そうしたことは聞くのも嫌いで、とにかくポジティブなのです。口癖は「自分はすべてにおいて運が良かった。ただ感謝するだけだ」です。看護師さんから直接聞きましたが、一般病棟に移ってからは巡回に来る看護師さんにいつも「お世話になります。ありがとう!」と感謝の言葉をかけるので看護師さんの中では人気者で「かわいい!」と言われていたそうです。百歳にもなると「かわいい」ものなのですね。一つ難点は、耳が極端に遠いので、看護師さんの言うことがほとんど聞き取れず、筆談にせざるを得なかったことだそうです。それでも「鈴木さんは頭がしっかりされているので、書いてあげればすぐに理解して、またそのことでお礼を言わはるので、皆んなの人気者なんですよ!」と聞いて、本当に頭が下がりました。
一月末近くに転院し、今はリハビリのために民間病院に入院しています。歩行器で歩き、トイレや食事も自立していることを弟から聞きました。回復は今のところ順調のようです。年齢からすれば劇的回復と言って良いかもしれません。父を見ていて思わされるのは、心の持ちようで体の回復が違ってくるのだな、ということです。とはいえ百歳ですから、今後母と生活を共にするのに現状は厳しそうなので今後を見据えての選択肢を思案しています。
今年は正月がありませんでした。何度も奈良と埼玉を往復し、母に会い、弟と話しをしてきました。でもそれを苦に感じたことはありません。両親にこれまで愛情を注いでもらい、さんざ世話になったことを思えば、何をしても足りません。父と母が残りの人生を少しでも豊かに過ごすために、家族の協力を得ながらできることを淡々としていきたいと思います。
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