私が元気工房と関わりを持つようになったのは浅輪さんとの交友が起点となっています。私が福祉の専門学校を卒業後に福祉施設に入職した時、その福祉会の運動を担ってきた支柱の様な方々のお一人が浅輪さんでした。職場は同じではありませんでしたが、その福祉会の広報担当となった私は、元出版社勤務で編集のプロだった浅輪さんに原稿の割り付けなどの指南を受け、文章の書き方をよく教わったものです。人に読みやすく分かりやすい文章の書き方を何度説かれたことでしょう。でもこれはセンスの問題もあり、私はダメ出しを出されることが多かったなぁ。ただ浅輪さんの優しさゆえ、私の書く編集後記を面白がってくださり「あなたは面白いこと書くわね。私はあなたの編集後記を読むのを楽しみにしてますよ」と言ってくださり、やる気を持続させるようなお心遣いの言葉をいつもかけてくださったことを思い出します。
結局、私はその職場に2年間しか居らず、退職後は全く畑違いの仕事に着きました。それでも浅輪さんとの交流は年賀状を通して続けられました。年賀状には通りいっぺんの挨拶ではなく、その年の出来事を織り交ぜた報告をするのが私のスタイルでしたが、浅輪さんもいつも色々と近況等を達筆で丁寧に書いてくださいました。
私は福祉の現場を離れても、そこで知り合った仲間たち(元気工房で言うならメンバー達)との交流は続けていました。家にしょっちゅう電話をかけてくる仲間もいれば、年に数回会ってお茶をしながら互いの近況報告をする仲間もいました。年賀状をやり取りする仲間で、いつも年初に待ち合わせて食事をするK君という若い仲間がいました。K君は私のことを慕ってくれて、いつもたどたどしいながらも丁寧に近況を書いた年賀状をくれました。私はそれを読んでから「明けましたおめでとう。元気にしてる?一緒にお茶しよう!」と電話連絡をして北浦和駅で待ち合わせ、毎年喫茶店でゆっくりと語り合ったことを昨日のことのように思い出します。浅輪さんと私の関係が年賀状以上のものになったのは、このK君の死がきっかけでした。
K君は施設入所当初は、学校時代にあったいじめのために極端におどおどした性格で、自分に全く自信がないという様子でした。それが仕事をする中で自信をつけ、私が退職する頃には生協のラインで仕事をするようになるまで成長しました。ところが、年に1,2回会ううちに、K君が痩せ細りひどく疲れているのが見て取れるようになり何度も「大丈夫?無理しないでね」と声かけするようになっていきました。ある年の正月にいつも来るK君の年賀状が見当たらず、おかしいなと思いK君宅に電話すると電話口に出られたお母さんの言葉にショックを受けました。
「鈴木先生ですか?(お母さんは私のことを先生と呼んでいました。先生じゃないですからと言っても変わらなかったのでそのままの言葉で書きます)実はKは生協での仕事中事故で亡くなりました。先生にもご連絡をと思いながら大変失礼致しました」
聞いて絶句し、涙で声が出なくなりました。電話口で何も話さなくなった私を訝しく思ったのでしょう。「あ、先生。。。よろしいですか?」と通話状態を確認されても嗚咽が止まらず、ようやく
「そうでしたか。分かりました」
と言って電話を切るのがやっとでした。生涯であれほど泣いたことはまだありません。悲しみが収まることはありませんでしたが1ヶ月ほどして、私は浅輪さんにメールを送りました。K君のためを思ってしたことがかえってK君の死を招いたのではないかという責苦からです。本当に彼にとって仕事をし続けることが良かったのか分からないと。浅輪さんから返ってきたのは、
「そんなに仲間のことを気にしてくれるあなたにお願いしたいことがあります。今度新しいNPO法人組織の施設を立ち上げたのでその理事になってくれない?あなたに是非お願いしたい」
とのことでした。福祉の現場を離れた私に何ができますか?との問いかけには
「それだからこそ良いの。現場にいると現場から離れてものを見ることができなくなるものよ。あなたみたいに、仲間と接してきて別の仕事をしているという人の視点が欲しいのよ」
との返答でした。そんなものかな、もし今の自分でも役に立てるなら亡くなったK君のためにもなるかもしれない、と考え理事になることを決意したのです。
それ以来、また浅輪さんとの直接の交流が再開しました。
浅輪さん、あなたに声をかけていただいたことで私の人生は思わぬ方向に変わりました。ボランティアの理事を経て元気工房の施設長となった今の仕事は私の能力では十分にこなせるものではありませんが、いつもチャレンジされて障がいを持つ人のために働き続けたあなたを想います。そしてあなたから叱咤激励されつつ、私も私のやるべき「分」を果たそうとチャレンジし続けます。
浅輪さん、本当に本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。今はどうぞ大好きなご主人とご一緒にゆっくりとされてください。メンバーと職員のこと、これからも見守っていてくださいね。あなたのことは決して忘れません。
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