2022年04月03日

介護保険申請はスピード勝負

 父が亡くなるまでの間に介護保険制度を利用したサービスの提供を受けてきましたが、これは落とし穴だなと感じたことを書いてみたいと思います。というのも、当事者になってみてはじめて気付くことかもしれないし、タイミングを逸すると大きな損失にもつながるからです。
 まず介護保険制度をよく知らないという方は、おそらくまだ家族の中にその対象者がいないか、まだ良いかと棚上げしている方でしょう。ざっくりとでも良いので介護保険制度の大まかな仕組みだけでも自ら調べてみることをお勧めします。ここで概要を解説することもできますが、えっ?そう?と思って自分で調べることで知識は身に付きますので。あえて説明は省きます。

 介護保険は区分に応じて使えるサービスの種類と量が決まります。その区分は要支援1〜2と要介護1〜5まであることはご存じの方が多いでしょう。父は97歳の時に初めて認定調査を受けて出た区分が要支援1でした。つまりほぼ自立です。それが百歳目前で心筋梗塞で手術・入院したのですからそのままなはずはありません。心筋梗塞の手術自体は成功し、術後の入院生活中に次の手を打たなければと思いました。父が元の住まいであるサ高住に戻るには母の助けが必要ですが、これまでも母が面倒を相当みてきた上にさらに負担が増すとなると、母が先に倒れるに違いないと思っていました。ですので、手術が成功したと聞いたら急性期後の退院で、すぐにサ高住に戻らずにリハビリできる施設利用を考えました。そのために打った手が介護保険の区分の変更申請です。百歳の人間が手術を経て元通りの生活ができるはずがありません。少なくとも車イスは必要となるでしょうし、ベッドも電動タイプでなければならない、となると福祉用具のレンタルが必要。しかし介護保険でベッドのレンタルができるのは要介護2以上なので、父の回復具合を考慮すると認定調査時に要介護2以上出るかどうか微妙でした。父は心筋梗塞の手術後は私がそう考えるほど驚異の回復を見せていました。実際に、最初の病院を退院する時は歩行器で歩けるようにまでなっていました。これには驚きました。さすが鉄人だと。しかし、下手に動ける状態が一番危ないのです。転倒しての骨折もそうですし、四六時中母がついていなければならなくなる状況が二人の生活には一番危険だと思っていました。そのためにどうすれば良いか?直ぐにサ高住に戻らず、ワンクッション置いてからが良いと考えたのです。リハビリができる施設は二つ考えられます。リハビリ病院つまり医療保険主体、そして老人保健施設(老健)これは介護保険主体。私は老健を利用できれば一番良いと考えていました。というのも、リハビリ病院では午前・午後ともにリハビリするメニューとなり父にはキツイし生活がつまらないから。老健ならばリハビリは午前中だけで、午後はレクなどで気持ちもほぐせるだろうと思ったのです。このサービスの違いが医療保険と介護保険の大きな違いです。しかし、老健は要介護1以上でなければ利用できません。そのための区分変更申請でした。

 ところが、ここに落とし穴がありました。介護保険の場合、住所他特例というものがあるのです。これは、施設利用する前の住所地の自治体が保険料支払いに関係する保険者となるというものです。両親の場合、東京都葛飾区に居を構え、それから長野県の佐久市にあるサ高住へ移り、その後奈良のサ高住に移りました。佐久市に住民票を移したのならば奈良市に移った場合は佐久市が保険者となりそうですがそうではありません。元の一般住宅の住所地が保険者となるのです。それで佐久市ではなく依然として葛飾区が保険者です。この葛飾区に奈良市から区分変更申請のために認定調査を行うことの申請が行き、それを受けて葛飾区は奈良市に認定調査を依頼し、その結果葛飾区が区分を認定するという大変まどろっこしい行程を経なければならないのです。何故このような制度体系かと言えば、施設が数多くあるのは大抵地方都市であるため、施設の住所をもってその地方自治体が介護保険の保険者となると財政が逼迫するからです。健康に暮らして一般家屋に住んでいたその元の住まいは首都圏であることが多いためです。

 さて、それではこの住所地特例という制度の何が問題でしょうか?それは圧倒的にスピードが遅いということです。徐々にではなく、思わぬ病気や怪我などで健康を損なった場合、一気に本人の健康は悪化します。短期間で死に至ることも稀ではありません。そうなると認定調査が入る前に本人が亡くなり、そのため介護保険サービスを受けていたりした場合に全額自己負担という、残された家族には弱目に祟り目という事態も起こりうるのです。実際、今回父の認定調査が遅れに遅れたため危うく先に述べた状況になるところでした。しかし、これは行政の怠慢ではなく、これまたコロナ禍が生み出した弊害の一つであるというべきでした。少なくとも父の場合はそうでした。まん延防止措置が出ているだけでも病院に見舞いにも行けないばかりか(まん延防止措置が解除されても依然として多くの病院では見舞いができません)認定調査も住たる施設と元の住まいとが離れているとかなりな時間を取られてしまうのです。今回父の認定調査がようやく入ったのは、何と!父の死の一日前でした。ギリギリセーフで認定調査が間に合ったのです。そして一昨日父の介護度が認定されたと母から連絡がきました。要介護5でした。こうして何とか結果を得られました。もちろん、それには私や弟がサ高住の担当ケアマネジャーに何度も早くしてくれと訴えたためです。もし、これが間に合わなかったらと思うとゾッとします。先のブログに書きましたが、3時間おきにサービスを入れ、介護ベッドや訪問看護を組み込んだ1ヶ月のサービスの実費は60〜70万円だからです。これが要介護4と暫定的にみてスタートした父の介護サービスの実費なのですが、要介護4ならこの1割負担で済むのです。もし、認定調査が一日遅れたら、本来払う必要のないまとまったお金の支払いが生じるところでした。私と特に妻がケアマネであるためにこうした事情に精通していたことと、施設ケアマネさんも頑張ってくれたことで最悪の支払いは避けられました。そして、この認定調査は申請の時点まで遡って効力を発揮するので、1月3日からの介護保険サービス全てに適用されるのです。

 長々と記しましたが、介護保険が出来てから高齢者介護は家族だけの負担ではなくなりました。が、それを利用するにあたってはある程度の知識が必要です。この情報を提供してくれるのがケアマネジャーですが、どうやってケアマネジャーに聞けば良いか分からないという方のために、最後にお伝えしたいと思います。

 介護のことで少しでも「どうしよう?」と思ったら、周囲に聞ける人がいない場合、いやいたとしても、まずは各地域に必ずあるので「地域包括支援センター」に連絡を取り相談してください。地域包括支援センターには、必ず主任ケアマネ・社会福祉士・保健師がおられて、介護・医療・保健・福祉などの側面から高齢者を支える総合相談窓口となっています。

 かなり長々と書き連ねました。情報として十分ではありませんが、これを読む方の転ばぬ先の杖として役立てば何よりです。
posted by 施設長 at 17:45| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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