これまでずっと父と一緒で、父のことを見守り続けた母にとって、父を亡くした喪失感たるやどれほどかは想像に難くありません。5月に体調を崩して入院することになった時は、父に続いて母もか?と思いました。母の入院でもコロナ感染対策ということで見舞いは一切できませんでした。それが私にとって一番の不安で、果たして母は持ち堪えられるのだろうかとの思いが何度頭をよぎったかわかりません。母を支えるために私がしたことは、毎日手紙を書いて送ることでした。入院初期に一度だけ電話があり、手紙なら読めるとのことだったので実行したものです。
毎日手紙を書いては速達で入院先の病室宛に送りました。速達にしたのは、土日にも配達されるからです。幸い母は回復し、短期の入院を経て元の住まいであるサ高住に戻ることができました。車椅子生活にならずに回復できたことには心底ホッとしました。ただ問題なのは身体ではなく、心です。施設での生活は聞いてみると孤独です。入居されているほとんどの方は認知症だったりして、友達となる対象はほとんどいないようでした。親しい職員さんがいても会話する頻度は少なく、一日を通してほとんど誰とも話すことのない生活になったことで、母の不安が募っていたようでした。退院時に母がチラとそんなことを漏らしていたので、それ以来毎日のように電話をすることにしています。母が私に電話をしてくるのは本当に稀で、話したいけれど迷惑をかけてはいけないという母の気持ちが痛いほど分かるだけに、私から話し相手になるための電話を今もしています。
退院後には会いに行く頻度も増やしました。これまで1〜2ヶ月に一度だった訪問を、月に二度にしたのも少しでも母が元気になるようにとの一心からでした。退院後は手紙も何度か書いています。母から「寂しさで眠れないような時には入院した時にもらった手紙を繰り返し読んでいるの。そうすると心が落ち着いてくるから」と聞いたからです。介護という言葉から連想されるのは身体介助だとおもいます。しかし、継続して必要なのは体ももちろんのこと、どうやって心を支えていくかという「心理的支援」だなと得心しています。
本当は母を支えるのは姉が良かっただろうなと痛感します。女性のことは女性にしか分かりませんから。姉が49歳の時に乳癌で亡くなった時の母の悲しみは未だに脳裏に焼き付いています。残った者が支えるしかないので、今は私と弟で自然と役割分担して母を支えています。
これから歳を重ねていく時、自分はどのように老いていくのかまだ実感がありません。今はただ母の気持ちに寄り添いながら「介護」を続けていくだけです。負担感はさほどではありません。これまで私がピンチの時にそれを察してどれだけ助けられてきたかを思えば、私のやっていることは大したことではないなと思います。
というわけで、今後もブログ更新頻度は低くなることをご理解いただければ幸いです。確かなことは、母を支えるためにしていることは、メンバー支援にも自然と活かされているということです。家族に限らず人に関わることは、他の人への関わりにも自ずと影響するということなのでしょう。このブログをお読みくださるお一人お一人の幸いを心からお祈りいたします。