2022年08月19日

母ちゃんのためなら

 実に3ヶ月ぶりにブログを書いております。これだけ間を空けた理由は、やる気や体調の問題ではなく、余裕が無かったの一言に尽きます。何故それほど余裕が無かったのかと言えば、3月に父を亡くしてから、母のフォロー(介護という範疇には収まらないので敢えてフォローとします)に追われていたから(いるから)です。
 これまでずっと父と一緒で、父のことを見守り続けた母にとって、父を亡くした喪失感たるやどれほどかは想像に難くありません。5月に体調を崩して入院することになった時は、父に続いて母もか?と思いました。母の入院でもコロナ感染対策ということで見舞いは一切できませんでした。それが私にとって一番の不安で、果たして母は持ち堪えられるのだろうかとの思いが何度頭をよぎったかわかりません。母を支えるために私がしたことは、毎日手紙を書いて送ることでした。入院初期に一度だけ電話があり、手紙なら読めるとのことだったので実行したものです。

 毎日手紙を書いては速達で入院先の病室宛に送りました。速達にしたのは、土日にも配達されるからです。幸い母は回復し、短期の入院を経て元の住まいであるサ高住に戻ることができました。車椅子生活にならずに回復できたことには心底ホッとしました。ただ問題なのは身体ではなく、心です。施設での生活は聞いてみると孤独です。入居されているほとんどの方は認知症だったりして、友達となる対象はほとんどいないようでした。親しい職員さんがいても会話する頻度は少なく、一日を通してほとんど誰とも話すことのない生活になったことで、母の不安が募っていたようでした。退院時に母がチラとそんなことを漏らしていたので、それ以来毎日のように電話をすることにしています。母が私に電話をしてくるのは本当に稀で、話したいけれど迷惑をかけてはいけないという母の気持ちが痛いほど分かるだけに、私から話し相手になるための電話を今もしています。

 退院後には会いに行く頻度も増やしました。これまで1〜2ヶ月に一度だった訪問を、月に二度にしたのも少しでも母が元気になるようにとの一心からでした。退院後は手紙も何度か書いています。母から「寂しさで眠れないような時には入院した時にもらった手紙を繰り返し読んでいるの。そうすると心が落ち着いてくるから」と聞いたからです。介護という言葉から連想されるのは身体介助だとおもいます。しかし、継続して必要なのは体ももちろんのこと、どうやって心を支えていくかという「心理的支援」だなと得心しています。

 本当は母を支えるのは姉が良かっただろうなと痛感します。女性のことは女性にしか分かりませんから。姉が49歳の時に乳癌で亡くなった時の母の悲しみは未だに脳裏に焼き付いています。残った者が支えるしかないので、今は私と弟で自然と役割分担して母を支えています。

 これから歳を重ねていく時、自分はどのように老いていくのかまだ実感がありません。今はただ母の気持ちに寄り添いながら「介護」を続けていくだけです。負担感はさほどではありません。これまで私がピンチの時にそれを察してどれだけ助けられてきたかを思えば、私のやっていることは大したことではないなと思います。

 というわけで、今後もブログ更新頻度は低くなることをご理解いただければ幸いです。確かなことは、母を支えるためにしていることは、メンバー支援にも自然と活かされているということです。家族に限らず人に関わることは、他の人への関わりにも自ずと影響するということなのでしょう。このブログをお読みくださるお一人お一人の幸いを心からお祈りいたします。
posted by 施設長 at 06:55| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2022年05月19日

与野公園のバラ

 今年はようやくバラ祭り開催の与野公園へ行きました。水曜日の午後の活動で、与野公園と与野七福神中のニ福神巡りという企画です。
 天気は快晴で、バラを観に来る人で賑わっていました。メンバー達が公園内で喜んで遊んだものは、ブランコ!我先にとブランコに乗って思い切り漕いでとても気持ちよさそうでした。確かにブランコって解放感ありますよね?あるメンバーが「危ない!危ない!」と言いながらすごく大きな振り子をしていて、見ているこちらがヒヤヒヤしました。
 外に出ると気持ち良いですね。良い時間を過ごせました。
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posted by 施設長 at 06:40| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2022年05月15日

浅輪さんと私

 元気工房の創設者そして前代表理事であった浅輪さんが5月7日に天寿を全うされました。享年88歳。本当に大きな素敵な方でした。それだけに喪失感も大きなものがあります。
 私が元気工房と関わりを持つようになったのは浅輪さんとの交友が起点となっています。私が福祉の専門学校を卒業後に福祉施設に入職した時、その福祉会の運動を担ってきた支柱の様な方々のお一人が浅輪さんでした。職場は同じではありませんでしたが、その福祉会の広報担当となった私は、元出版社勤務で編集のプロだった浅輪さんに原稿の割り付けなどの指南を受け、文章の書き方をよく教わったものです。人に読みやすく分かりやすい文章の書き方を何度説かれたことでしょう。でもこれはセンスの問題もあり、私はダメ出しを出されることが多かったなぁ。ただ浅輪さんの優しさゆえ、私の書く編集後記を面白がってくださり「あなたは面白いこと書くわね。私はあなたの編集後記を読むのを楽しみにしてますよ」と言ってくださり、やる気を持続させるようなお心遣いの言葉をいつもかけてくださったことを思い出します。

 結局、私はその職場に2年間しか居らず、退職後は全く畑違いの仕事に着きました。それでも浅輪さんとの交流は年賀状を通して続けられました。年賀状には通りいっぺんの挨拶ではなく、その年の出来事を織り交ぜた報告をするのが私のスタイルでしたが、浅輪さんもいつも色々と近況等を達筆で丁寧に書いてくださいました。

 私は福祉の現場を離れても、そこで知り合った仲間たち(元気工房で言うならメンバー達)との交流は続けていました。家にしょっちゅう電話をかけてくる仲間もいれば、年に数回会ってお茶をしながら互いの近況報告をする仲間もいました。年賀状をやり取りする仲間で、いつも年初に待ち合わせて食事をするK君という若い仲間がいました。K君は私のことを慕ってくれて、いつもたどたどしいながらも丁寧に近況を書いた年賀状をくれました。私はそれを読んでから「明けましたおめでとう。元気にしてる?一緒にお茶しよう!」と電話連絡をして北浦和駅で待ち合わせ、毎年喫茶店でゆっくりと語り合ったことを昨日のことのように思い出します。浅輪さんと私の関係が年賀状以上のものになったのは、このK君の死がきっかけでした。

 K君は施設入所当初は、学校時代にあったいじめのために極端におどおどした性格で、自分に全く自信がないという様子でした。それが仕事をする中で自信をつけ、私が退職する頃には生協のラインで仕事をするようになるまで成長しました。ところが、年に1,2回会ううちに、K君が痩せ細りひどく疲れているのが見て取れるようになり何度も「大丈夫?無理しないでね」と声かけするようになっていきました。ある年の正月にいつも来るK君の年賀状が見当たらず、おかしいなと思いK君宅に電話すると電話口に出られたお母さんの言葉にショックを受けました。
「鈴木先生ですか?(お母さんは私のことを先生と呼んでいました。先生じゃないですからと言っても変わらなかったのでそのままの言葉で書きます)実はKは生協での仕事中事故で亡くなりました。先生にもご連絡をと思いながら大変失礼致しました」
聞いて絶句し、涙で声が出なくなりました。電話口で何も話さなくなった私を訝しく思ったのでしょう。「あ、先生。。。よろしいですか?」と通話状態を確認されても嗚咽が止まらず、ようやく
「そうでしたか。分かりました」
と言って電話を切るのがやっとでした。生涯であれほど泣いたことはまだありません。悲しみが収まることはありませんでしたが1ヶ月ほどして、私は浅輪さんにメールを送りました。K君のためを思ってしたことがかえってK君の死を招いたのではないかという責苦からです。本当に彼にとって仕事をし続けることが良かったのか分からないと。浅輪さんから返ってきたのは、
「そんなに仲間のことを気にしてくれるあなたにお願いしたいことがあります。今度新しいNPO法人組織の施設を立ち上げたのでその理事になってくれない?あなたに是非お願いしたい」
とのことでした。福祉の現場を離れた私に何ができますか?との問いかけには
「それだからこそ良いの。現場にいると現場から離れてものを見ることができなくなるものよ。あなたみたいに、仲間と接してきて別の仕事をしているという人の視点が欲しいのよ」
との返答でした。そんなものかな、もし今の自分でも役に立てるなら亡くなったK君のためにもなるかもしれない、と考え理事になることを決意したのです。

 それ以来、また浅輪さんとの直接の交流が再開しました。
 浅輪さん、あなたに声をかけていただいたことで私の人生は思わぬ方向に変わりました。ボランティアの理事を経て元気工房の施設長となった今の仕事は私の能力では十分にこなせるものではありませんが、いつもチャレンジされて障がいを持つ人のために働き続けたあなたを想います。そしてあなたから叱咤激励されつつ、私も私のやるべき「分」を果たそうとチャレンジし続けます。

 浅輪さん、本当に本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。今はどうぞ大好きなご主人とご一緒にゆっくりとされてください。メンバーと職員のこと、これからも見守っていてくださいね。あなたのことは決して忘れません。
posted by 施設長 at 09:35| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする